会社概要
会社名 | 寿交通株式会社 |
所在地 |
〒181-0014 |
設立 | 1961年1月 |
代表 | 金 鎭午 |
会社名 | 寿交通株式会社 |
所在地 |
〒181-0014 |
設立 | 1961年1月 |
代表 | 千田 裕 |
ことぶきの歴史
弊社のホームページを訪れていただき誠に有り難うございます。
最近では転職を考えている方の多くが、応募しようと考えている職場の情報を事前にネット検索していらっしゃいます。
そこで弊社の「成り立ち」と「現在」、そして「未来」を以下に紹介いたします。
少しばかり長い文章になりますが、なにとぞ御一読いただき、職場選択の参考にしていただけますようお願いいたします。
1961年1月
創業者である千田寿(2002年没)が、当時まだ武蔵野の緑濃い現在の地で7台のタクシーをもって営業を開始。
2001年10月
創業者の長男である千田裕が2代目の社長として就任。
この時点でタクシー68台、民間車検場(一般整備・板金塗装・車両販売)を展開。
2014年6月
無線配車の母体であった共同無線タクシー協同組合(1986年設立)の方針転換により、所属会社周辺の個人宅顧客を獲得するため、会員組織『ことぶき倶楽部』を発足。無線配車の利用回数に応じて特典還元を行うサービスを開始する。
2014年10月
ご高齢のお客様や障がいのあるお客様からのご要望により、日産NV200UD(ユニバーサルデザイン)仕様を導入。
トヨタJPN TAXI(ジャパンタクシー)と違い、「車両後部からの乗り降り」が容易で、お客様、乗務員ともに乗降時に係る負担が少ないことが採用理由。
弊社がなぜ「後方乗降方式のワゴンタイプUD車両」にこだわっているのかを紹介した動画がホームページ内にあります。
トヨタJPN TAXI(ジャパンタクシー)との違いが一目瞭然ですので、そちらをご覧ください。
2015年4月
事業所内保育所(東京都認可保育園:0~2歳児 14名)を本社営業所敷地内に開所。
東京23区、三鷹市・武蔵野市のタクシー会社で初めての保育所として注目される。
2015年6月
国土交通省より女性が働きやすい職場の創出に努めている企業を対象とした『女性ドライバー応援企業』の認定を受ける。
2016年10月
「自主的に免許返納をした高齢者」を対象に、料金の10%を割引する「免許返納割引」を実施。
この割引制度は、東京23区、三鷹市・武蔵野市にある法人タクシーでは弊社だけが行っている。
2015年10月1日
共同無線タクシー協同組合が解散したのを機に、弊社では東京23区での流し営業形態を維持したまま、無線配車を三鷹市・武蔵野市に限定した「1社単独無線」に営業方針を転換。今日までどこの共同組合にも無線グループにも属さず1社単独での事業を継続、展開している。
2017年8月
ニッサンNV200UD仕様車両全車に「AED(自動体外式除細動器)」を搭載。
同時に「AED搭載」というハード面だけではなく、万一に備え東京消防庁の「救急救命講習」を全社員対象に実施、管理職・事務職員・整備工はもとより、在籍する乗務員の半分以上の78名が「普通救急救命士」資格を有している。(2024年1月現在)。
2018年8月30日
新しいタクシー配車アプリを開発するため、在京4社1協同組合のタクシー事業者とSONYが新会社(みんなのタクシー(株))を設立。
その後、2019年4月、アプリの正式名称を「S.RIDE(エスライド)」とし、運用を開始。
在京4社1協同組合とは、都内最大手の国際自動車(Km)グループおよび大和自動車交通グループ、グリーンキャブ、チェッカーキャブ無線協同組合そして
弊社、寿交通である。
タクシー事業者以外の株主は、SONY、Sony payment service、NTTドコモ、ゼンリンデータコムといった上場会社とタクシー事業者の帝都自動車である。
2020年1月
コロナウイルスが公式に確認され、2023年5月の「5類移行」まで運行制限や
休業要請などにより経営的に大打撃を受けるも全社員一丸となってこの未曽有の危機を乗り越える。
2021年6月
三鷹、武蔵野市内の高齢者施設(デイサービス)のご利用者のご家族から、「寿交通の乗務員の接遇がよいので、施設の送迎に寿交通を採用してほしい」という
要望があり、手始めに1施設3台からの運用を開始。
その後、他のデイサービス施設や透析病院、障がい者施設からの依頼を受け、現在、介護タクシー3台を含む15台が福祉車両として稼働している。(特定旅客自動車運送事業)
2024(令和6)年4月1日
2代目社長である千田裕から金 鎭午(キム ジンオ)に代表取締役社長を交代。
千田裕は代表権のある会長として、今後も経営に参画してまいります。
ここまで長い文章にお付き合い頂き有り難うございました。
世間からは「吹けば飛ぶような」ちっぽけな会社ですが、創業63年を迎えタクシー(一般乗用旅客自動車運送事業)、送迎(特定旅客自動車運送事業)、自動車整備(陸運局指定工場)、保育所運営(東京都認可保育園)、配車アプリ「S.RIDE」株主と、これからも東京23区・三鷹市・武蔵野市で、「ロボット・AIにはできない」「同業他社にはまねのできない」旅客運送事業を深化、展開してまいります。
『山椒は小粒でもピリリと辛い』寿交通のこれからにご期待いただくとともに、
転職を考えている皆様、タクシーのご利用を考えている皆様、愛車のご購入、整備を必要とされている皆様にはどうか弊社を選んでいただけますよう宜しくお願い申し上げます。
2024年 4月吉日
寿交通株式会社 代表取締役
金 鎭午
社長退任の御挨拶
平素、寿交通をご利用いただき誠に有り難うございます。
このたび22年6ヶ月務めた社長職を退くことに致しました。
これまでのご愛顧に感謝の気持ちを込めて御礼のご挨拶を申し上げます。
寿交通の創業者は千田寿で、私の父でした。
そして、私は世間で言うところの「2代目」になります。
私が父から社長を譲られたのは42歳の時でしたが、その時、なぜかわかりませんが68歳で「社長」を降りて、次の人に会社を託そうとひそかに心に決めたのです。
その時点で私には子どもがいましたが、例え優秀であったとしても子どもには会社を継がせず、血のつながりのない「他人」にあげてしまおうとも考えたのでした。
それは私の若い時の体験や出会った人たちからの影響がそうさせたのだと考えるのですが、22年前に父を、9年前に母を見送り、いよいよ自分の考えを具体化していく時が来たと思い、顧問の先生と相談しながら毎年少しずつ準備を進め、昨年末に社員に発表、今日に至ったということです。
当初「68歳で」と決めていましたから、65歳の今は3年ばかり早くはないのかと思われるでしょうが、これはスムーズな権限委譲を行うためには3年ほどの時間が必要であることを経験上知っているからなのです。
私の場合も、父の体制から私の体制にするのにやはり3年ほどかかりました。
そこで、新社長の「意志」が社員一人ひとりの隅々まで浸透するための「3年間」を逆算して、この4月にしたのです。
今後しばらくは代表権のある会長として、業界の会議や株主であるS.RIDEの会議、地元自治体への支部からの出向など社外に出る機会を増やすことで、社内での私の「濃すぎるキャラ(^_^;)」を薄め消していくとともに、新社長が社内での権限移譲に時間を掛けられるよう脇から支えようと考えております。
今後、肩書は「会長」ですが、「こんな猫の額みたいに小さな会社で会長と呼ばれるのは御免だ」と、社内では「相談役」「後見(こうけん)さん」「ご隠居」の3つの呼び名から自分の言いやすいものを選んで声掛けするよう、社員にはお願いしています。
さて、肝心なことを忘れていましたが新社長の金 鎭午(キム
ジンオ)とは、1991年、私が32歳の時に武蔵野市で開催された「わんぱく相撲」というイベントで、私は設営側のスタッフをしており、「国際交流」の一環としてお手伝いの留学生を探していた時、亜細亜大学の留学生会会長(彼は韓国からの留学生でした)だった彼と出会い、そこから公私にわたっての付き合いが始まったのです。彼は亜細亜大学卒業後、日本に留まり日本の企業に勤めていましたが、その真面目で誠実な生き方を見て、2008年に寿交通に招聘、タクシー乗務員を経験させた後、運行管理部門、経理部門を経て2015年に常務取締役に任命したのです。
私は日本で生まれ育った「在日韓国人」で、国籍は「韓国」なのですが、韓国語はまったく話せず、韓国の親戚縁者とも父母の没後はまったく付き合いがありません。
金社長はニューカマーとして日本で暮らす韓国人ですが、「特別永住者」の資格を日本政府から得ており、将来にわたって日本で暮らしていくことを決めています。
お分かりのことと思いますが、私と彼とは「全くの赤の他人」ということです。
いずれにしても、韓国にルーツを持つ私が「韓国人」である彼にシンパシーをもって会社を譲ったということではなく、私が社長になってからの23年余りで、何人かいたスタッフの中から次世代を託せる力を持っていたのが、結果として彼だったということになります。
さて、結びとして少しばかり視野の広い話になりますが、この数年、世界を見渡すと大国主義、自国中心主義が台頭し、力(武力や権力)による国際秩序の変更、人権侵害など目に余るものが多く見受けられるようになっています。
国内のおいても、官・民が揃ってダイバーシティー(多様性)を謳う一方で、LGBTQ+やアイヌ民族、外国籍住民などへの言われなき差別があるばかりでなく、同じ日本人同士でも様々な場面で「分断」が進んでいることを認めざるを得ない状況が続いています。
「嫌韓・嫌中」といった言葉も、未だ社会から無くなってはいないのです。
どうか寿交通の社長が「日本で暮らす外国籍住民」だとしても、地域社会に根を下ろして暮らしていること、また社業を通じて地域でなくてはならない存在になろうと努力していることをご理解いただき、今後とも弊社をご愛顧いただけますようお願い申し上げます。
長い長い文章にお付き合いいただき有り難うございました。
皆様の益々のご健勝とご多幸をお祈りしております。
2024年4月1日
千田 裕
社長就任の御挨拶
平素より格別のご支援ご高配を賜わり厚く御礼申し上げます。
この度2024年4月1日より寿交通株式会社の代表取締役に就任いたしました金鎭午(きむじんお)です。
私は1988年8月、25歳で来日し、日本語を学び1990年亜細亜大学経営学部に入学しました。
大学2年生の時に16か国から来た在学留学生528名の中で留学生会の会長に選ばれ、留学生と共に日本の伝統と文化を体験する為、武蔵野市で開催された「わんぱく相撲」行事に留学生15人と一緒に参加した際、千田裕社長(当時、常務取締役)と初めて出会いました。
大学を卒業後、東京都台東区御徒町の百貨店『多慶屋』に入社、3ヶ月の研修を経て営業部に配属され販売士2級を取り、日本の社会における営業、販売、接客、言葉使い、ビジネスマナー等を学びました。
子ども二人も小学生になり、自分の人生計画を改めて見直すことにし、思い切って10年間働いた会社を退職しました。
2004年4月、会社を創業するための「創業訓練学校」で4か月コースを選択、終了後に友人と二人で旅行会社を創業しました。
その後、日本の国家資格である「旅行業務取扱管理者資格」「日本語・韓国語の通訳ガイド資格」を取得後はツアーコンダクタ―として独立しました。
自らトヨタアルファード車を購入し営業を始め、時には15人乗りのハイエース、28人乗りのコミュータを運転しながら、大企業のオーナーをはじめ、建築会社、鉄道会社等の企業視察団の通訳、展示場での通訳、大学校の教授、市長、市議員、ソウル市の看護協会、観光客のガイドなど様々な分野の方々と面識を広め、経験を深めていきました。
2008年9月、アメリカの住宅バブル崩壊によりリーマン・ブラザーズが倒産に陥り、全世界に経済危機が広がったため、私の重要顧客であった日韓のビジネス客を始め、展示場参加客、企業視察団、観光客が激減し、収入も半分以下になりました。
当時カナダに留学させた小学4年の長男を呼び戻し、節約生活を送らざるを得なかった時、二代目社長に就任していた千田裕氏に呼ばれました。千田社長とは大学卒業後も毎年年賀状を送り、年に何度かお会いして長年交流を続けていたのでした。
2008年12月、千田社長から、「日本で骨をうずめる覚悟があるのなら、『寿交通を最後の職場』として働いてみないか」と誘われました。
千田社長の人柄を知っている私としては17年間の親交もあり、身に余るお誘いでもありましたので、3日間思考を重ねた末の決断として、日本で最後の職として「勝負をかけてみる。骨をうずめる覚悟」で自分の人生をかけてみる事にしたのです。
その後、入社してすぐの年末年始に心機一転、富士山の真下、裾野の自動車学校で富士山の精気を身体いっぱいに浴びながら、タクシー乗務に必要な2種免許を取得、タクシー乗務員として新しい生活が始まりました。
「乗務員」は初めて就く業種でしたが、お客様のニーズや夜中のお客様の流れなど、各エリアのお客様の特性をよく研究した甲斐もあって営収も常にトップを争うほどになり、周囲の乗務員からも一目を置かれるようになったのです。
その後、「乗務員」として5か月間務め、次は営業部に配属されました。
営業部では乗務経験を基に、接客や売上げアップのための仕事のやり方、営業場所ごとの待機方法そして無事故・無違反・無苦情のための安全運転習慣などの教育業務を担当しました。
この間、運行管理者と衛生管理者の資格も取り、乗務員の皆さんとも信頼関係を築き管理職としての経験を積み上げていきました。また社会保険など書類の手続きや総務の業務全般を学びました。さらに簿記の勉強を始め、実務に照らしながら乗務員の給与計算、事務、整備等全社員の給与計算、決算などをこなし、同時に入退社時の面接・面談なども行い、会社全般の業務に携わって8年が経ちました。
特に2021年6月、3台で開始した特定旅客自動車運送事業の送迎業務の評判も良く、地域のほかの施設からも入札に参加する旨の要望があり、現在は6つの施設に12台の送迎業務契約と3台の介護タクシーを稼働させております。
これは地元、三鷹市武蔵野市のお客様が弊社タクシー乗務員の仕事ぶりを評価していただき、ご家族が利用されているデイサービスなどの施設に、弊社採用の要望を上げていただいたことの結果であり、乗務員の努力の賜物と感謝しております。
『誠を盡し 而して 誠を盡す(まことをつくし しこうして まことをつくす)』
これは創業者 千田寿の言葉ですが、その意味は「誠を尽くし そのうえで さらに誠を尽
くす」という強い決意を表している警句です。
私もまた更なる社業発展のために、お客様をはじめ取引様の皆様、寿交通の社員の皆様に
対し、またさらには自分自身に対しても誠を尽くしてまいります。
『明日の為に今日を生きる』『選ばれるために何をしますか?』『約束を守る』「求められて
いるものを自覚する』などなど、前社長(現会長)の千田裕は在任中に多くのスローガン、
警句を生みだしてきました。
今年2024年の年間スローガンは『より、良く変える』ですが、私はこれからも先達が
遺した数々の警句に込められた思いを大切に、寿交通の「新たな章」を築いてまいる所
存です。
どうか前社長の千田裕に変わらないご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
2024年4月1日
代表取締役 金 鎭午
アクセス
■JR三鷹駅南口よりバス
6番乗り場/朝日町または車返し団地行き
◯「野崎2丁目」バス停 下車1分
■JR武蔵境駅南口よりバス
1番乗り場/吉祥寺駅行き
◯「野崎2丁目」バス停 下車1分
92番乗り場/吉祥寺駅行きまたは武蔵境駅循環
◯「京王ストアー前」バス停 下車5分
基本接客用語
毎朝の出庫点呼の際、出番者全員が声を出して唱和して、仕事に臨む気持ちを整えています。毎月8・9日に開催している明番(教育)集会でも社長以下全員で唱和しています。
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付随する業務については、採用のご案内などを含みます。
こちらが必要ない場合はその旨お伝えいただければ、それ以降はおこなうことはありません。
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